
第三話「ミュートのまま、誰かが話している」
翌朝、朋香はログ監視ツールを開く手をためらった。
画面の向こうに“何か”がいるような、言葉にできない違和感があった。
画面に表示された通話ログ。
昨日、自分がかけた03-6260-XXXXへの発信履歴がしっかりと記録されていた。
だが、そこには異常なデータが紛れていた。
通話時間:26分37秒
録音データ:存在せず
音声解析:継続的な単独話者/ノイズ検知あり
タグ:「非ユーザー発声反応」
メモ:“ユーザー:比嘉 優衣”による終了操作を検知
「……私、そんなに話してた…?」
記憶にあるのは、「もしもし」と言ったきり、通話が切れた瞬間だけだ。
だが、ログ上では26分間、誰かが話していたことになっている。
しかも、“非ユーザー”の反応が記録されたとある。
つまり──彼女以外の“何か”が、通話に応答していた。
宮城に相談しようとSlackを開いたそのとき。
新しい通知が1件、Googleカレンダーから届いた。
■ 定期ミーティング(非公開)
開催者:比嘉 優衣
時間:本日14:00
会場:Meet(リンクあり)
「……は?」
信じられない。アカウントは削除されているはずだ。
宮城に連絡を入れ、急ぎ臨時ミーティングを開くことになった。
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午後2時。
Meetにアクセスすると、画面には「主催者が入室しました」と表示されている。
しかし、どの名前も映らない。画面はただの黒──マイクもビデオもオフのまま。
宮城が、チャット欄にメッセージを打った。
「比嘉さん?見えていますか?」
数秒後、黒画面のアイコンから音声が流れた。
「……記録して……ないの」
誰かの声だった。
だが、ノイズにまみれてはいるものの、それはたしかに、比嘉優衣の声に似ていた。
「話してるのに……誰も、聞いてない……」
画面の誰もが声を失った。
それは録音データには残らない、リアルタイムの“肉声”だった。
Google Meetの録音機能は作動しているのに、記録が進まない。
朋香は恐る恐る尋ねた。
「比嘉さん……今、どこにいるんですか……?」
返ってきたのは、沈黙。
しばらくして、またあのホワイトノイズとともに、かすかな音が混じる。
「……ここにいるよ……ミュートのままで……ずっと……」
その瞬間、Meetの画面がフリーズした。
ログが自動保存されるはずのクラウドフォルダに、録音ファイルは生成されなかった。
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その後、IT担当の外注エンジニア・仲村誠志がログサーバーを解析した結果、意外な事実が判明した。
比嘉優衣のアカウントは、退職時に削除されたのではなかった。
ログイン状態のまま、ユーザー管理リストから“非表示”にされたまま残存していた。
管理者の操作ログには、誰の操作か分からない「ghost_admin」という名前が記録されていた。
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現在も、03-6260の番号は社内からアクセスできないまま封鎖されている。
だが朋香のログ画面には、時折こんな通知が現れる。
「比嘉 優衣 が Meet に入室しました(音声・映像:OFF)」
それは、本当に彼女なのか?
それとも──
“記録されなかった声”が、今もどこかで話し続けているだけなのか。