
第一話「欠けたログ」
午前8時45分。
島袋朋香(しまぶくろ ともか)は、いつものようにPCを立ち上げ、SlackとGoogle Meetを接続した。
社内の架電スタッフたちがログインを始める時間帯。「おはようございます」が画面に次々と流れ、仮想オフィスが動き出す。
朋香の仕事は、スタッフたちの架電ログの管理だ。
1件1件の通話が正しく記録されているか、無効リストへ誤発信がないかを確認し、社内日報へ反映する。細かい作業は性に合っていた。淡々としたチェックは、むしろ落ち着く。
だが、その日は違った。
「……あれ?」
通話履歴の中に、違和感があった。
スタッフの一人・新垣が昨日かけたという発信履歴に、見覚えのない番号がある。
「03-6260-xxxx」
営業リストには存在せず、顧客名も未登録。さらに不可解なのは、録音が残っていないことだった。
録音ツールの管理画面を開いて確認する。該当の時間に「発信」は記録されている。だが、音声ファイルも自動文字起こしのデータも存在しない。まるで、“何も喋られなかった通話”のように。
朋香は念のため、新垣にSlackで確認した。
「昨日15:07に『03-6260〜』の番号に発信してるけど、覚えてる?」
すぐに返信があった。
「え?その番号知りません。リスト以外には発信してないはずですが…?」
やはり、記憶にはない。ツールにはリスト外通話の制限機能がある。誤発信すら難しいはずだった。
違和感は、じわじわと不安に変わっていく。
朋香は教育部のSMGR、宮城悠真にSlackでメッセージを送る。
「宮城さん。変な発信ログがあったんですが、最近ほかにもこういう例って見てません?」
しばらくして、Google Meetから宮城の声が飛んできた。
「あるよ。俺もここ1〜2ヶ月で2件見た。どれも録音なし、リスト外の番号。ちょっと気味悪いよな」
「共通点、ありますか?」
「んー…はっきりとは言えないけど、全部比嘉さんの案件だったかも」
「比嘉優衣(ひが ゆい)さん…ですよね?」
懐かしい名前だった。
比嘉優衣は、かつて朋香と同じリスト管理部にいたスタッフだ。
去年の秋、Slackに「一身上の都合で」とだけ残し、退職していった。以来、彼女の名が社内で話題に上ることはなかった。
だが──
朋香はバックアップから古い稼働記録を検索した。
比嘉が最後にログインしていたのは、退職の2週間前。
記録によれば、深夜2時14分だった。
それが彼女の“最後の稼働”だ。
通常、スタッフが退職すれば、アカウントは削除され、ログやプロファイルもすべてシステムから消去される。それが社内の規定だった。
けれど、今回の“録音が残らない通話”は、その常識に反していた。
発信ログだけが、確かに今も存在している。
誰かの操作ミスなのか、それとも偶然のシステムエラーか──
いや、それにしては不自然すぎる。
まるで誰かが、あるいは何かが、あの通話を“再現”しているようだった。
「放っておけない。」
そう思った瞬間、朋香の指がキーボードの上で止まった。
ログ画面に整然と並ぶ通話履歴。
数字が連なるその一行だけ、妙に浮いて見える。
ほかと同じように見えるのに、どこか、違う。――じっと見ていると、まるでそこに何か“意志”のようなものが滲んでいるような錯覚に囚われた。
「ログ」として保存されているはずの過去の記録が、今まさに息を吹き返し、こちらに何かを訴えかけている──そんな気配が、画面越しにじわじわと迫ってきた。